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大阪高等裁判所 昭和45年(行ス)9号 決定

相手方 尼野亨

抗告人 大阪国税局長

訴訟代理人 鎌田泰輝 外一名

主文

原決定を取り消し、相手方の民訴法三一二条一号にもとづく文書提出の申立を棄却する。

相手方の同条二号にもとづく文書提出の申立について原裁判所に差し戻す。

理由

一、抗告人の本件抗告の趣旨と理由は別紙のとおりである

二、当裁判所の判断

(一)  民訴法三一二条一号にいう「当事者カ訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、訴訟において当事者によつて引用された文書すなわち、当事者によつて、その存在と趣旨が訴訟で引用された文書を指称する。従つて、必ずしも、証拠として引用された文書に限るものではない。このような文書を提出する義務を当事者の一方に課するのは、それを所持する当事者が、この文書の存在を積極的に主張して裁判所に自己の主張の真実であることの心証を一方的に形成させる危険をさけるため、該文書を相手方の批判にさらすのが衡平であることによる。

(二)  本件において乙第九号証が提出された趣旨は、被告(抗告人)の昭和四四年七月三日付証拠の申出書によると、「乙第九号証は、柴田欣伍がその職務上作成したメモであり……原告(相手方)が被告署長の本件係争年度分の所得調査の際その担当者である柴田欣伍に提出した資料……について明らかにする」とある。そうして、被告は柴田欣伍を証人として申請する証拠の申出をし同人の証言によつて、被告の第一準備書面(昭和四二年一月一七日付)第一項の(一)および(二)の主張事実、すなわち、乙第九号証の(1) ないし(10)の文書しか原告が提出しなかつたことを明らかにしようとし、現に、柴田欣伍に対する証人尋問の際にも、みぎの範囲に尋問をとどめており、乙第九号証の(11)以下の文書については、なんらの主尋問をもしておらない。却つて、みぎ(11)以下の文書について尋問をしたのは、原告だけである。

そうすると、被告は、乙第九号証によつて、柴田証言とあいまつて、同号証の(1) ないし(10)の文書しか原告が提出しなかつたことを主張、立証しようとしたもので、同号証の(11)以下の文書の存在を積極的に主張し、それらの文書の存在と趣旨によつて自己の主張を裏付ける証拠に供しようとしたものでないとしなければならない。

(三)  以上の次第で、相手方が提出を求めている文書は、乙第九号証の(11)以下の文書に属するもので、抗告人が、訴訟において引用した文書に該当しないから、抗告人には、民訴法三一二条一号によつて提出する義務はない。そうすると、この義義のあることを前提にした原決定は取消しを免れず、相手方の同号による申立は棄却するほかはない。

(四)  相手方は、被告西淀川税務署もしくは被告大阪国税局長に対し、民訴法三一二条二号によつても、みぎ文書の提出を求めているところ、原裁判所は、この点についての判断を省略している。従つて、この部分についての判断をさせるため、この部分を原裁判所に差し戻すのが相当である。

(五)  そこで、民訴法四一四条、三八六条、三八四条、三八九条を適用して主文のとおり決定する。

(裁判官 三上修 長瀬清澄 古崎慶長)

別紙

抗告の趣旨

原決定を取り消す。

相手方の本件文書提出命令申立を却下する。

手続費用は相手方の負担とする。

との裁判を求める。

抗告の理由

一、原決定は、民訴法第三一二条第一号にいう「訴訟ニ於テ引用シタル文書」とは、当事者が口頭弁論等において、自己の主張、立証のため、その内容および存在を明らかにした文書と解するのが相当であり、乙第九号証を書証として提出することは同号証に記載されている各文書を書証として提出するに実質的に等しいものであるとの理由で、本件文書を右条項にいう「当事者力訴訟ニ於テ引用シタル文書」にあたるとされているが、右は次のとおり誤りである。

(一) 民訴法第三一二条第一号は単に「訴訟ニ於テ引用シタル文書」と定めているが、「引用」の語義からして口頭弁論、準備書面においてその文書を引用することをさすものと解するのが相当である。

すなわち、民事訴訟は、主張と立証を明確に区別しているのであつて、立証とは主張事実の立証方法のみをさし、その段階においては「引用」とみるべき事象が介在する余地はないものである。

そして本件各文書が乙第九号証にその表題が記載されているにとどまつて準備書面には引用されていないものであり、右にいう「引用」にはあたらないものというべきである。

(二) 原決定は、民訴法第三一二条第一号の文書を単に自己の主張、立証のため、その内容および存在を明らかにした文書をいうものと解されているが、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義については、文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち、文書所持人が当該文書を証拠として引用する意思を明らかにした場合に限るものと解すべきである(兼子一著民事訴訟法条解七九三頁、法律実務講座四巻二八三頁)。

同法条に規定する文書提出命令の制度は、挙証者のため、反対当事者や第三者の手中にある書証を裁判所の命令によつて利用させようとするものである。これは、当事者の責任と負担において訴訟の進行を図ることを建前とする民事訴訟においては異例のことである。しかも、文書提出命令が対立当事者に発せられる場合を考えてみると、対立当事者は自己の意に反してまでも手中にある書証を相手方のため利用させることを受忍する義務を負い、もし、この命令に従わない場合は裁判所により当該文書に関する相手方の主張を真実と認められる危険を負担しなければならないのである(民事訴訟法第三一六条)。このような不利益を対立当事者に負担させるには、相応の合理的な理由がなければならない。ところで、同条第一号の場合はいかなる合理的な理由があるであろうか。もし、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を当事者が文書の存在を引用した場合の意味に解すると、たとえば、仮に準備書面においてある文書の存在について一言半句でも言及した以上、たちまちにして当事者は、当該文書の提出を義務つけられることになる。しかし、対立当事者にそのような不利益を負担させるに足る合理的な理由は見出せない。したがつて「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を、当事者が文書そのものを証拠として引用した場合、すなわち口頭弁論や準備手続において文書を証拠として提出する意思を表明した場合の意味に解すべきである。すなわちその場合には当事者は自己に有利な場合に文書を証拠として提出するのが通常であるから、当事者がいつたん文書を証拠として提出する旨の意思を表明した以上、当事者に提出義務を負担させてもその不利益はさほど大きくなく、禁反言の法理に照らしてそのような措置は是認できるところである。このように、「訴訟ニ於テ引用シタル文書」の意義を、当事者が文書そのものを証拠として引用した場合の意味に解することによつて、はじめて同条第一号は合理的な制度として理解できるのであつて、同条項はそのように解するのが正当である。そして本件各文書が右の場合にあたらないことは明らかである。

また仮に一歩を譲つて「当事者が口頭弁論において、自己の主張の助けとするため、とくに文書の内容と存在を明らかにすることを指すもの」(東京地裁昭和四三年九月一四日決定判例時報五三〇号一九頁および南博方評釈判例時報五四一号九四頁)と解したとしても、以下に述べるとおり抗告人においてその主張の助けとするためには本件文書の内容と存在を明らかにしたものといえないのである。

1、乙第九号証に文書の存在は記載されているが内容については明らかにしていない。

2、証人柴田欣伍の証言中その内容が概括的に明らかにされているが、それは専ら相手方の反対尋問によるものである。このような場合にまで抗告人が提出義務を負う合理的理由は見出せない。なお証人が当事者の所持する文書の内容を引用して証言を行なつた場合でも、それだけでは提出義務を負わないものとされているのである(法律実務講座四巻二九四頁)。

3、また原決定が摘示される昭和四四年七月三日付証拠説明書における乙第九号証に関する証拠説明は、原告がその担当者である柴田欣伍に提出した資料について明らかにしようとするものであり、その提出された資料は乙第九号証の一ないし一〇および二四、二五のみであることは同号証の当該文書およびそのカツコ書からも証人柴田欣伍の証言によつても明らかで、したがつてこれら以外の書面なる本件各文書は調査当時柴田に提出されておらず、これは証拠説明書で全く引用していないのである。いわんやこれによつて原告の昭和三七年分の売上原価および外注工賃について明らかにしようとするものではない。なんとなれば乙第九号証の資料は昭和三八年分度に関するものであり、そのことは証人柴田欣伍の証言によつて明らかである。売上原価および外注工賃は乙第一〇号証、乙第一号証の立証事項(それも実際にはその額については争いがなく、当該文書の記載文言のみの立証を目的としたものである)に関するものである。

二、右のとおり本件各文書が民訴法第三一二条第一号に該らないものであるが、それよりもより基本的なこととして相手方が本件各文書の提出命令の立証事項とされている閲覧請求権そのものが本件各文書について成立しうるか否かの判断を要するものである。原決定が提出命令の必要性として本件各文書が原告の所得計算に関係があるものとされているが、相手方が文書提出の申立をされたのは、所得計算の関係ではなく単に当該文書が元来閲覧請求の対象とされるべきものであつた事実を立証されんがためである(相手方(原告)の昭和四四年一二月一八日付証拠の申出書三項)とされているからである。

(一) ところで、当該文書は相手方から閲覧請求があつたときには審査庁は事案の事実審理を了し、その前一時原処分庁から預つていた本件各文書はすでに原処分庁に返却ずみで、審査庁である大阪国税局長の許にはなかつた(昭和四四年一〇月三〇日付被告(抗告人)第七準備書面および昭和四五年五月二六日付意見書)のであり、その写しすら存在していなかつたのである。したがつて本件各文書については閲覧請求時に審査庁に存在しなかつたから、相手方は閲覧請求自体を行使しえないものであつたのである。

以上のとおり当該文書は元来閲覧請求の対象となるものでなかつたのであつて、これが閲覧請求の対象となし得たことを当然の前提とした相手方の文書提出命令の申立は失当なものである。

結局本件では民訴法第三一二条第一号に該当するか否かの判断の前に、相手方のこれによる立証事項である閲覧請求権の存否、すなわち閲覧請求当時の文書の存否について判断されるべきであり、しかも当時文書が存しなかつたことから相手方には閲覧請求権行使の余地がなかつたのであるから、その立証事項からいつて本申立自体失当となり、これを看過してなされた原決定は取り消されるべきものである。

(二) また本件各文書は、いずれも更正処分の理由となつた事実を証する書面ではなく(その詳細は、昭和四五年三月一一日付被告(抗告人)第八準備書面および昭和四五年五月二六日付意見書(二)項(イ)に記述したとおりである。)、その事実は証人柴田欣伍の証言によつても認めうるところである。さればこの点からも本件文書は本件申立における立証事項である閲覧請求の対象とはなりえないものであり、本申立は失当である。

三、本件各文書は所得税法第二四三条によりその公表のできないものである。

すなわち民訴法第三一二条の文書提出義務は裁判所の審理に協力すべき公法上の義務であり、基本的には証人義務と同一の性格のものと解されるから、その公表が法律の規定により公表できないものとされている文書については提出義務を負わないものである(東京地裁昭和四三年九月二日決定・判例時報五三〇号一三頁)。

そして本件各文書は税務署における調査方法あるいは課税処分に至る心証形成の経過を包含しているものであつて、これを公表することにより、第三者がどのように税務署に協力したか、税務署がどのような方法で調査したか、どのような心証形成過程をとつたか、公けにすることとなるのであつて、まさに所得税法第二四三条により公表できない文書なのである。

四、本件各文書が民訴法第三一二条第二号に該当するものでないことについては、昭和四五年五月二六日付文書提出命令申立に対する意見書中の(二)項において主張した点をそのまま引用する。

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